20080327

NEW DAY RISING!いっこうえ


ひさしぶりのベースメント&ハイヤードガールちゃんです。最近一番目にブチこまれ続けていたのもあり行ってませんでした。まあ、幻のウルガはみてますけど・・・


highered-girlは知ってる人は知っている知らない人は全くわからないと思うけどハインラインのSF小説「夏への扉」のなかに出てくるお掃除ロボットの商品名。日本語訳では「文化女中器」となっていますが、バンド名になったときハイヤード君とガールちゃんのユニットと思われがちだそうです。ユニット・・・私はハイヤードのこと「ユニット」と思ったこと無いなあ
バンド、だね。


今日はお馴染みほっしーのニューデイライジング
一番目。
しーん。
そういうことハイヤードは気にするだろうけどみてるときの私はそうだっていいのだ。
こっちゃんはもうハイヤード飽きちゃったんだと
私自身もそうなのか!?って思うくらい遠のいていましたが
ひさびさに観るということも大事だなあと思ったのです。


いつもそうなんだけどハイヤードのライブ観ると余計なものがトビます。
ギターがぶぅわんぶぅわんいってたり
エレキカズーの音がデカクなってたり
ボーカルのフレーズが上手くなってるとこがあったり
アレンジしたとこがぐっときたり
叩きに叩きまくりのドラムに笑ってしまったり
笹塚でウルガを思い出して泣きそうになったり
久しぶりに「空気」をきいたり
ストラップ結局テープで留めてたり
ふたりが顔をみあわせてにやっとしたり
デカイ音がいっぱいに身体にぶつかってきたり
するのが
イイ。


多分私はハイヤードを正当に評価できていない。
「正当に評価」ってなんかキモいコトバですが。
分かる人にはもっとハイヤードの面白さとか、違うとこにあるんだろう、私とは。
そういうの解ってなくてハイヤード観てるのもハイヤードに申し訳ないような気分になる。
結局私は総合的なインパクトとか全体の衝動のようなものでしか音楽は判断できないから。
でもそこしかないという気持ちもある。絵とか映画とかも結局そこしかないと思ってるし。それは、あくまで私の思い。


NEWDAYRISINGいっこうえ系だったのだが私はそのあとのバンド、どうでもよくなってしまった。ハイヤードでもういっぱいになってしまった。ふー。私はイベントにはなるべく参加したいけど、今日はもうどうでもよくなってしまった。チェックの為にライブに行くんじゃない。その気分がよいバンドを見逃していたとしても、それはそれだけのことだと思う(ようにする)。ハイヤードガールを初めて観たのだって偶然だったんだから。


私は今いろいろ考えてモヤモヤしてる。それを誰かのCD、誰かの演奏で、ひとつずつ目覚めさせられてひとつづつ解決している気がする。今日ハイヤードを観てまたひとつモヤモヤがとんだ。やっぱり私はスタイリッシュにゃやれねえよ、何事も。それでオッケーです。まったくもって。
桜がさいたねー
憂鬱と若干の希望のピンクと枝の色と黒い夜空がきれい。こぶしの花の白と枝の焦げ茶と快晴の青もきれいだ。
純粋なものがとても好きだ。
欲とか、邪念とか、憎悪に近いものとか、そういう汚いようなものが当然あって、考えて考えて結局無駄になるくらいに悩み過ぎてしまってがさがさになってしまっても、純粋であることがどうしようもなく隠しきれない、そういう人たちがいて、私はその人たちの音楽にどうしようもなく惹かれてしまう。そのひとたちのそばにいてずっとみていたいとどうしようもなく思うのだ。

0 件のコメント: